【花開くリドル】


苺という名前が嫌いだった。この名前でいる限り一生幼い子供のままな気がして。
その事を話すと魔女先輩は私のことをトロと呼ぶようになった。ストロベリーのトロ。
「知ってる?トロ」
魔女先輩はいつも私の知らないことを教えてくれる。
――知ってる?トロ。
魔術には詠唱が欠かせないんだ。
とても当たり前の話。言葉にしなきゃ気持ちが伝わらないのと同じレベルの話をアタシはしてる。
もっと言えば、言葉にして気持ちが伝わった時、アタシらは気持ちが伝わる魔術を詠唱してる。
言葉は術式、想いは魔力。
だから恥ずかしくても、怖くても魔術をかけたい相手をしっかり見つめて相手に届く声で詠唱するんだ。わかるね?
それが魔女先輩が教えてくれた初めての魔術。
そして結局それが知らない男の人の子をお腹に宿して学園から消えていった魔女先輩が教えてくれた最後の魔術になった。
でも、魔女先輩。スペルを教わらなかった魔女の弟子は、トロは何を詠唱すればよろしいですか?



本の中でしか読んだことはないけれど忍者が隠れ里を作るならこういうところだろうな。
学園を見たときの最初の印象がそれだった。
老いた猫が化けたような駅員が居眠りしている茶色くくすんだ駅からバスで1時間。すっかり辺りが森と道しかなくなって人さらいの車に乗ってしまったかと嘆き始めた頃にバスは止まる。そしてその予感は変わることなく、学園の門が森を背にして出迎える。
女子のみで構成された全寮生で生徒の自主性と自然とふれあう環境を云々。難しい言葉は耳を滑る。
分かるのは、私は捨てられ閉ざされた。ということだけ。
ああ、なんて悲劇。まるで魔女の塔に閉じ込められたラプンツェル
そんなメルヘンに酔ってられるのも学園の説明を聞かされている一時間だけ。
寮を案内されてその扉を開けたら先に閉じ込められた先輩のラプンツェル達が待ってる。
髪は下ろさなくていい。自分に巻き付けろ。さぁ、ラプンツェル――さぁ、私。
自分の体で自分の居場所を作って守る時間だよ。



つよい おんなのこ
よわい おんなのこ
そんなの ひとの かって
ほんとうに つよい こころなら
すきな じぶんでかてるように がんばるべき



■【花開くリドル】について

生徒の自主性という部分を最大限に拡大解釈した結果、膨大な生徒数を収容する13の寮には学園は一切の干渉をしない。
13の寮にはそれぞれ13の寮長が生徒の中から選出され、彼女らが各寮の自治を行う。
各寮内の揉め事に関しては寮長の裁量にて任されることとなる。
そして他の寮間での揉め事が起きた場合は互いの寮長の権限はなく、その一切は【花開くリドル】にて裁かれることとなる。
各寮から選出された【庭園の者/ガーデナー】が場を仕切り速やかに【花開くリドル】が開催される。
リドルではギャラリーのいる中、揉め事の当事者二人が庭園に呼び出され【奏でる者/プレイヤー】の奏でるリズムに合わせ正統性を即興で述べる。八小節ずつで交代し計二回行われる。
必然話せる内容は短くなりポエトリーなものになっていく。
それを聞いたギャラリーがどちらか正統性のあったか方に拍手を送り、その音の大きさ方で判断する。ということになっているが実際のところどちらがパフォーマンスとして優れているかが主に評価の基準になっている。
その事から声楽や演劇など普段から舞台に立つ者が強く、舞台に立ち人の注目集めようものなら心臓発作で死んでしまうような小動物のような少女たちはそもそもリドルに立ちたがらない。
立ちたがらないんだよ。本当に。



本当に立ちたがらない。なら今、私はいったいどこに立っているのだろう。
自問自答をするだけの時間は私に残されていなかった。既に第1寮の前のケヤキ広場に二人のガーデナーと二人のプレイヤー、多くのギャラリーと姫崎先輩と私が集まっていた。
不肖ながら苺はリドルに出ることになってしまいましたとさ。ちゃんちゃん♪
…いやいやいやいや。
何もかもが現実に思えない。心臓の音は周囲に漏れ出さんばかりに鳴り、思考はぐるぐると高速で回転し、しかしその実なんにも思い浮かばない。お腹は鉛でも呑んだかのようにずしんと重い。
目立たないことだけを目標に生きてきた。自信を持って言えるのはこれだけだ。怖い獣が徘徊してない真昼でさえ息を殺して日常に潜んできた。
目立ちたいだとか良く見られたいだとか一切思ったことはない。
もちろん目立つことを悪だと思ったこともない。目立つ者は目立てばいい。容姿の良い者はモデルやアイドルになり、運動に優れた者は記録を残す。人より秀でた何かを持つ者は自信を持ってその分野へ羽ばたいていけばいい。
しかし私はそこには無関係である。ウェディングドレスが飾ってあるショウウィンドウを眺める少女の気持ちだ。
綺麗。華やか。素敵。でも自分とは隔絶した世界。
その全てが今無意味になった。
姫崎先輩が私を睨み付けてくる。初めて受けるまっすぐな敵意。ただただ怖い。
その上、視線だけで私を殺すには十分だというのにこの上にあと30秒もすれば私のことを口で攻撃してくるのだという。
怖い。怖すぎる。緊張でさっき食べたものを吐いてしまいそうになる。それだけは私にもあった少女の心で我慢しようと強く強く思う。
魔女先輩にさえ出会わなければ。くだらないもしもが私の頭の中を走る。
魔女先輩にさえ出会わなければ、姫崎先輩がどれほど魔女先輩を馬鹿にしていようが私は素知らぬ顔でその横を通れた。
もちろん目立たずをモットーとして生きる私が姫崎先輩に口答えするなんてこともなくて、だからリドルにでるようなこともなくて…。
「花咲くリドルを開催する。3年、姫崎桃乃。1年、砂川苺」
なかったはずのリドルは、でも魔女先輩に出会ってしまったからすぐそこまで迫っていた。
いよいよもって現実感がない。脚はがくがく震え、口を開いたら心臓がこぼれてしまいそうだ。
『言葉は術式、想いは魔力。だから恥ずかしくても、怖くても魔術をかけたい相手をしっかり見つめて相手に届く声で詠唱するんだ。わかるね?』
分かってます。でもトロはなんと詠唱したらよいのですか?
もちろん答えはない。私が魔女先輩に教わったのはそれだけなんだ。
心臓が音だけが何かをわめいてる。花開くリドルがついに始まる。

 

――to be continue...

 

 

その昔オタラップの本に乗せてもらおうとして長くなるし終わらないしで没にした文章が出てきたので戒めのために乗っける。R.I.P

OTAKU SONG

「白鳥は生涯鳴かないが死ぬ間際に美しい歌を歌う」

というような伝承がヨーロッパだかにあってこれをswan songと言うのだとか――。

 

 

比較するにはあんまりにもあんまりだがオタクにも死ぬ間際に発する声があって、これを「はてなブログ」という。

多分あらゆることにはいつか飽きが来て、これを打破するためには新鮮な刺激が必要になるのだろう。

新鮮な刺激に必要なのは真新しい作品ではなく変化を受信できる自身のアンテナなのだけれど、これも恐らくはいつか錆びていく。

飽きが蔓延したり、変化を受信できなくなったりするとオタクは死ぬ。

そして死ぬ前にはてなブログで鳴く。

「私が○○についていけなくなった理由」と。

 

 

村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」の世界の終り編の主人公は夢読みという役割につくことになる。

壁で覆われた閉塞した街で、冬に死んでいく一角獣の頭骨から古い夢を読み解く仕事だ。

あなたが夢読みで、ここが頭骨だ。

僕もいつか死ぬだろう。でもその前に歌を歌うだろう。

そのための場所を今のうちに用意しておこうと思う。

 

 

最後に。

実際のところ(当たり前だけど)白鳥の断末魔は決して綺麗なものではないという話だ。

オタクもそうで、本当に死ぬオタクは言葉なんか残さない。

誰にも言わずいつの間にかいなくなる。

できるならはてなブログで歌が歌えるような最期だと嬉しい。